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河内保二主宰の経済工学リサーチの発信情報

河内保二主宰の経済工学リサーチの発信情報

1.目前の製造業消滅の恐怖

まだまだ物価は下落する…製造業の窮地は続く。日本の製造業は盛りを過ぎたとも見られている。それは工業統計において、製造事業所数は高度成長期に急激に拡大したものの、そのピークがオイルショック後の昭和58年の78万280事業所であって、それ以後は縮小の過程に入り、また従業員数のピークはバブル期末期の平成2年の1,178万8,019人であって、平成11年には59万6,863事業所になり、従業員数は9,904,473人と1千万人の大台を割ってしまうというように、連続して減少していることで示されている。特に中小製造業の事態は深刻で、製造業の中小企業の集積する東京都大田区は、ピーク時の昭和58年に約9200 社の工場があったのが、その後は閉鎖が続き、平成10年には約6000社に落ち込んでしまっている。西の中小企業の集積地といわれる大阪府東大阪市でも、産業の空洞化が進んでおり、同市内の中小企業の従業員数は、平成2年の9万2,885人から、平成12年には7万752人に減少し、昭和30年代の水準まで落ち込んでいる。経済産業省の報告では、製造企業の7社に1社が工場を海外へ移転したか、移転の計画であるということだ。これは日本の製造業が全体的に情報化、サービス経済化の潮流の中で、日本経済に占める割合が縮小しているためであるとされている。そのような中に、繊維・衣服製造業の縮小は際立っている。それは昭和25年には日本の製造業の出荷額一位を占めるなど、かっては日本の花形産業であったのであるが、昭和40年代後半のアメリカの繊維規制発動問題に加えて、ドルショックやオイルショックに直撃され、その結果原料の高騰などにより国際競争力が低下し、一方海外製品の輸入拡大から国産品の需要低迷、価格低下も加わり、川上、川中、川下を通じたほとんどの分野で出荷額の構成比が低下し、昭和25年と比べて構成比は平成12年には20.9ポイントのマイナスというように大幅に縮小し、事業所数で6.8ポイントのマイナス、従業員数で16.9ポイントのマイナスとなり、往事の面影は失われてしまった。国勢調査ではミシン縫製工について、平成2年と平成7年との比較が示されており、ここでも大幅な減少になっている。同調査によると、平成2年には670,758人であったミシン縫製工は、平成7年には533,483人になり、20.5%の減少となっている。多分、平成2年が人数のピークではなかったかと思う。以後は今日まで減り続けているわけで、その減少の速度が目立つわけであるが、平成2年に対して今日ではほぼ半減しているのではなかろうか。このまま進めば、縫製品製造業の消滅の恐怖はますます強まるだろう。




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